日々是暇

過去との対面

たまーに自分の過去の記事を見直したりする。

三つ子の魂百までとは言え、曲がりなりにも5年くらい同じブログを書いていれば、今振り返って我が記事ながら「これってどうなんだ?」みたいな思いのわくものもあるわけで。

それは自分の心情の変化だけでなく、社会の情勢によっても変わっていくから、仕方ないとは思う。(少し言い訳)

そういうわけで、書き直したいと思わないこともないけど、そのまま取っておくことにしている。そのときそういう思考をしていたという、自分の歴史として。

例えば、原発の話。国道6号が解放されて、初めて避難区域を見たときには、あまりの惨状に「原発は無くした方が良い」と思っていた。

今も理想を言えば、他のもっと安全なエネルギーがあるに越したことはないと思っているし、それが出来たときには原発は無くなった方が良いと思う。けど、国土が狭く、再生可能エネルギーに頼る地理的な不可能性、欧米におけるその脆弱性……理想と現実の間にはまだまだ距離があることを感じ、やみくもに「原発をゼロに!」とは言えなくなってきている。ある程度は原発を動かさなきゃいけない現時点がある。(ただ、少しずつでも理想には近づくべきだと思う。核融合エネルギーには期待している)

また例えば、羽田空港の話。航路変更で都心の頭上を飛行機が飛ぶことになったというとき、僕は冗談半分とはいえ「国際線は成田で良いでしょ」と言っていた。

ただ、インバウンドが復活どころか過去最高になるにあたって、日本の玄関としての東京・羽田の価値はかなり高いことを感じている。今後成田だけではさばききれない訪日客が来るかもしれない。

過去の僕が全部間違っていたとは思わないけど、ちょっとズレていて、そのズレを振り返ることには意義があると思っている。間違いも、その人を作り上げてきた立派な歴史だ。(僕が立派とは言わないですよ)

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