日々是暇

秋田から帰る

「飽きたから帰る」ではなく。秋田からの帰路でこれを書く。大曲までは進行方向逆向きに進むため、強制的に後ろ髪を引かれる仕様だ(進行方向が後ろ髪だから意味が違うが)。

日曜夕方、小雨の秋田駅に着いたときには、ターミナル駅にもかかわらずの人通りの少なさに哀愁と寂しさを感じてしまった。

翌日も雨、住宅街にポツンとあるホステルにはレンタサイクル等もなく、天気の悪い郊外でもう1日閉じ込められる。

天気が良くなってきた火曜から本格的に秋田市を楽しみ始めた。毎日秋田駅に通い、その近くのコワーキングで働きながら色々なものを食べる。比内地鶏の親子丼、稲庭うどんといった名物はもちろん、末廣ラーメンや天下一番といった地元の中華、もちろん海に接しているので美味しい海鮮も。

中でも気に入ったのは“Care 赤居文庫”。本とコーヒーが好きならドンピシャのお店ですが、やはり人も少なく落ち着いた環境で、心置きなく読書で長居出来るのが良い(個人店だと気を遣ってしまって長居出来ない性分)。
特にモーニングはドリンク1杯につきこだわりのトーストも付いてくるのでお得でもある。

あとは椅子。どうやって揃えたのか、全脚がそれぞれ一点ものの木の椅子で、席を変えれば別な座り心地が楽しめる。ここでお気に入りの椅子を探すのも楽しそうだ。僕は今回は3脚くらいしか座れなかったが、次があれば他の席に座りたい。

そういう風に、流れるように過ごしていった。流れるように……

その居心地の良さに気づいたのは4日目だったか。結局のところ、規模が小さかろうが人が少なかろうが、この町はターミナルで性格は「都市」なのだなと。

出張のビジネスマンや旅行客も多く行き交う中で、すれ違う人は見知らぬ人であることが前提にある。だから、僕に対する「よそ者」というアイデンティティは薄い。

これがもっと交通の少ない町であれば、僕という「よそ者」がくっきり浮き上がり、そこから町の人は「興味」ないし「拒絶」というコミュニケーションが発生するのだろう。

この町ではみんな都市的な対応だ。大きなザックを背負っていても、多くの旅人の1人に過ぎない僕への関心は低く、接する人はフォーマルな笑顔ですれ違っていく。

ただ東京で生まれ育った僕は、このある種の冷たさに慣れている。馴染み深い無関心(決して悪い意味ではなく)。だからこそ、東京から遠く離れた場所で東京のように過ごすことが出来た。「都市」の性格を確認した1週間だった。(それ故に「旅」としての楽しさは少し薄目ではあったが…)

ターミナルですれ違う人はほぼ全員が他人であり、ほぼ全員がもう会うことがない人である。それは仕方ないのだけど、帰路の上の今、その、もう顔も覚えてない人たちと、またどこかで気づかずにすれ違えたらと思う。

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