最近、山に行かない晴れた日は都内や近郊の町を散歩する。
美味しいものを軸に、その町の図書館、本屋があれば本を買って、それをその町のカフェで読む―――
そして帰り際に、その町の銭湯でひと風呂浴びる。この締めで、いったんさらっとではあるが、その町のことを「読んだ」気分になる。

で、今日は井草湯という杉並区は下井草にある銭湯に寄った。
2018年にリニューアルしたそうで、とても町の銭湯とは思えないくらい綺麗で設備も充実。1000円くらいとられそうな施設だった。
その脱衣所での一コマ。僕がお風呂から上がって脱衣所で着替えていると、隣で着替えているおじいちゃんの耳に何か入っていた。
よく見ると100円玉だった。
ここは鍵付きのロッカーで、100円玉の返却式。鍵を開けると返却口に吐き出される。
確かに、色んな場面でこの吐き出された100円玉の存在を持て余す場面はある。いったん開けて、ちょっとドライヤー等で離れるとき、また100円を入れて鍵をかけるのが面倒くさい、とか。すぐに中の財布に入れられない、とか。そもそも最後忘れてしまう、とか……
小さい小さい問題だけど、もし仮にこれを解決しようとするなら、まぁ、鍵の下にちょっと小物を置くスペースを設けるとか―――平凡な僕だと、そういう単純な、でも絶対に「自分以外の何かを増やす」という思考になってしまう。
しかし、このおじちゃんはどこかの時点で気づいた。
「耳に入れておけば良いじゃん」
案外、自分の身体は意識が届きにくい。当たり前すぎて、改めてその形を考えることもない。自然、可能性なんて考えない。耳にひだがあるのは知っているけど、使用法なんて考えない。
ちなみに家に帰って僕もやってみたけど、100円玉は耳のひだに気持ち良いくらいしっかりとハマった。
耳にペンを挟むのと同様、僕は恥ずかしくてやろうとは思わないけど、耳にそういう使い方があることは、頭の片隅に置いておこうと思う。