日々是暇

共有するということ

ここ1,2ヶ月、全くというほどSNSをやっていない。メイントピックであった登山を休み中で、共有すること自体が無い、というのはもちろんある。

ただ、それ以上に思っているのは、身近な友人に常々近況報告をしてしまっていること。週に1~2回ゲームとかしながら、最近起きたことを話している。これが大きい気がしている。一番知って欲しい人にすでに共有済みであるので、特にSNSにまでシェアしたいと思わないというか。

共有について考えることが多くなった。10年前くらいのfacebookは、日本においても開かれていた、と思う。不特定多数の人からリアクションが飛んできて、その方々とコミュニケーションをとり、不特定多数の人に友達申請を送り……中には今なお友達関係が続いてる方もいて、それはかけがえのない財産だと思っている。

でも今となってはどうか。facebook、instagramは完全に自分の関係者内で閉じられている。たまの友人の情報も、人生の転換(結婚・出産・転職etc)等で、それはある意味、シェアしなくても身近な人が知ってくれていれば良いことかもしれない。(というか、それは「報告」なのでは)

で、さらに(残念な)個人的な気付きは、

言うほどSNSで共有したいことが無い。

ということ。上記した通りfacebookに投稿するのが楽しかったのは、そこから生まれるコミュニケーションがあったからで、一方通行で伝えたいことなんて何もなかった。

悲しいかな、これが僕の現実。だからと言って止めることはないけど、これからはより一層「見る専」に移行していくと思う。

一方で、「共有」を考えていくことで、「共有」の価値を再確認した。自分の他に、自分のことを知っている人がいるということは心強い。

SNSという形にとらわれない、新しい(古い)共有方法を模索したい。

「報告」「自慢」を「共有」という言葉で隠していた、自分への戒めも込めて。

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