日々是暇

同情よりも理解を

最近、「レビー小体型認知症」の方が書いた本を読んだ。この認知症は幻覚が見えたり、幻聴が聞こえたり、通常の「忘れる」ではなく、その記憶ごと意識から消えるといった、少し厄介なものらしい。

なんでこの本を手に取ったかと言うと、気まぐれなんだけど……書評のいくつかに出てきたから、いくつかの本と一緒に買ってみたわけです。

「幻は消えた時に幻と分かる」こういう世界を生きることの困ったことを、確かな筆跡で書かれている、稀有の本じゃないかと。実際、集中して書くことにはかなりの体力が必要らしく、身を削って上梓されたものだ。

僕は一つのことに集中し過ぎるきらいがあって、人より同情心が薄いと他から言われたこともあるし、自分でそう思わなくもない。不本意に思うくらいに同情心はあると思ってるのだけど。

そんな僕の他者への近道は、同情よりも理解だなと、この本を読んで思った。

レビー小体型認知症の方が見えないものを語り出したら、大体の人は「動揺」から「同情」で終わりだろう。ただ、知ってさえいれば、その先の「理解」へ繋げられる。僕の場合は「動揺」から「理解」か?でも、個人的に「同情」って、されるのは嬉しい反面、どこかうっとうしいような……結局のところ、「上からの歩み寄り」のようで……僕がひねくれてる?

そう考えたら、一番嬉しいのは理解だなと。自分の立場を理解してくれたら、すごく心強い味方を得た気がする。理解できる人を増やす、知識を積み重ねていきたいなと思った、そういう読書だった。

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