1月に「ラマレラ」を読んでから、異文化に興味が出てきて。そんな中で書評に掲載されたのがこちら、「エチオピア高原の吟遊詩人」(川瀬慈 著)。
アフリカのエチオピアにいる歌を生業とする「アズマリ」「ラリベラ」というグループにスポットをあてたドキュメンタリー。
紙面の多くを割いているのは「アズマリ」について。彼らは飲み屋で即興で演奏することが主な収入源であるが、その他にも冠婚葬祭、農業の際にも現場でその場にあった音楽を披露する。
焦点がアズマリ(ラリベラ)に向けられているので、彼らについて知ることが出来るのは当然のこととして、僕が思いを馳せたのは「(自分たちの)歌」が日常のいたるところに馴染んでいるエチオピア全体の文化だ。
日本でも街を歩けばあちこちから音楽は聞こえてくるけど、それはスピーカーやイヤホンを通してだったり、たまにお金を払ってライブに行ったり……身近なようで、実際の距離は遠い。(職業的になりすぎた?)カラオケも、結局は「歌いに行く」ための場所であって、生活とは切り離されている。
現代日本においては歌が特別になりすぎているのでは。コロナ以前に、いつ身近な人の音楽を聴いただろう?
エチオピアではイベントのたびに、こうした職能たちが、自分たちの声と楽器で、目の前で演奏が始まり、みんながそれに合わせて歌ったり踊ったりする。歌と生活の距離が近い、というか生活のサイクルの中に音楽が組み込まれている。彼らが多少蔑視されていても、農業する人、ドライバー、マシンコを弾く人、工事する人、花嫁、歌う人、社長さん、教師……と、何の違和感もなく並存している。
よくある「音楽は生活に必要か」という質問。そして日本人の大体の人は「必要」とは答える。
けど、この質問があること自体が音楽と生活の乖離を表している。
エチオピアの人にとってはこの質問は不思議かもしれない。なぜなら、いつでも音楽は空気のようにそこにあるものだと思うから。
P.S. 暇だったらカバーをめくって見てほしい。すごくかっこいい表紙が現れる。