続・なのですが。自分のあこがれるかっこいい人を言語化してみて、実はそれ自体が案外大事なことかもしれないなと。
なんとなくじゃなくて、輪郭と細部を描けることは、自分がどうすればそれに近づけるかの具体化にもなっている。
もちろん、あこがれの姿はあこがれのまま、ということが多いと思う。アイドルのように容姿端麗になれるわけがないし、100mを9秒で走ることも、ほとんどの人にはできない。
けど、自分でここまで具体的に言える姿には、それに近づきたい望みと、近づけるというほのかな確信があらわれているのだろう。
新聞とラジオの生活も、全く無駄ではなかった。