年末の飲み会、年明け、災害、岡潔さんの「日本の心」の読了……
久しぶりに川沿いを歩きながら、改めて僕にとって「生きる」とは何だろうと考え直す。
それをネットに書き残すというのは、いくら自分用のブログとしてもちょっと闇歴史になりそうで避けていたのですが、なんだかんだ10年間くらい同じことを思い続けているから、ブレないのであれば今の気持ちとして書いておこうと思いました。まぁ、あちこちで片鱗は残しているのですが…
まず、「生きている」ということについて。
登山にしろバイクにしろ、人によっては「危ない」「止めた方が良い」と言われるわけですが、僕にとっては
「死んでいない」=「生きている」
とは思えないんですね。
何も「死があってこその生だ」「スリルを求めろ」というわけではなくて、やはり生きるからには「夢」……までいかなくとも、「軸」が必要だと思う。自分は何のために生きているか、ということ。少なくともどこかを向いて生きていること。(極端なことを言うと、どこも向かずただ時間に流されているのは死んでいるに近いと思っている)
では僕は何のために生きているのだろう。より高い山に登るため、より速く走るため―――ではなくて。
僕にとって人生の軸とは何かというと、
笑うため
……これ、もう何度も言葉には出しているのですが、文字にするのは案外初めてかもしれない。
笑って死ぬため
この「笑う」はゲラゲラ爆笑することじゃなくて(それはそれで歓迎だけど)、「心が笑う」ということ。
結局のところ、登山もバイクも(つまりは旅も)、心を笑わせるための手段でしかない。大事なのは、どうすれば心が笑うかの手段を知っていること。
そして、笑うためであれば行動に制限は無い。選択肢は思いつく限りにおいて無限だ。
ただし、制限が無いからと言って、何をしても良いということではない。自分以外に迷惑をかけることはしない(それは全く「笑えない」)。
人生を渡る二本の橋は、道義と理想だとしか思えない。
岡潔「日本の心」
完全に読み切れたとも言い難いので、引用するのもおこがましいですが……ざっくりですが理想は「笑って生きる」として、人としての「道義(僕は「礼節」とも置き換えている)」は忘れてはいけない。
これに縛られることで笑えなくなるのも本末転倒なので。あくまで2024年現時点の人生観として残しておきました。