日々是暇

Pet Shop BoysとRadioheadとホリウチくん

来年ペットショップボーイズが来日する。観たことのない大御所、行けたらいいなと思いつつ、出勤途中久しぶりに“West End Girls”を聴いていたら、高校時代の同級生ホリウチくんを思い出した。彼はこの曲が好きだった。

「友人の中で尊敬する人はいるか?」と質問されたら、その中の一人に必ず彼をあげる。

「傑物」とかそういう類ではなかった。成績は普通(少なくとも文系理系で別れる前の1年生までは)で、運動神経が良くてサッカー部に入っていたはずだったけど、辞めたのかなんなのか、放課後の帰宅部の集まりの中には必ずいてしょっちゅうスマブラをしていた。常に飄々としていた。いつもヘラヘラと笑っていた。笑いながら平気で嘘をついたりした(本当に嘘が巧かった)。サッカー以外の突出した才能を見たわけじゃない。

では何が尊敬に値したのかというと、「自分」以外の軸で物事を判断しない気持ちよさだった。

冒頭の“West End Girls”にしてもそう。当時僕が持っていたペットショップボーイズのベストアルバム「Pop/Art」は、その名の通り2枚組で「Pop」寄りの1枚と「Art」寄りの1枚で構成されていた。高校生の僕は当たり前のように「Pop」の方が好きで(“Go West”が大好きで)、彼にも「Pop/Art」を貸したというより「Pop」を貸したくらいに思っていた。

そうしたら「『Art』めちゃくちゃ良いね!」と言って“West End Girls”を絶賛したのだった。1年生から一緒なので、嘘つきではあるけど感情の言葉に嘘がないことは知っている。思春期の背伸びも全くしない。僕が地味だと思っていた「Art」を喜んで聴ける感性を持っていた。

当時の僕の価値観は大いに権威性に頼っていた。某音楽雑誌の編集長が言うことは絶対で、その人が「良い」と思ったものは僕も「良い」と思わないといけない、くらいに思っていた。それがカッコいいと思っていた。

2003年にRadioheadが「Hail to the Thief」をリリースした。パンク小僧だった僕はそんなイギリスのオルタナ・バンドなんて知らなかったけど、その編集長が「良い」と言っていたから聴き始めた。そして、「良い」と思えるようになるまで聴き続けた。(おかげさまで単独公演に通うくらいのファンにはなれた)

ご存知、Radioheadは「OK Computer」と「KID A」の間には音楽性の大きな隔絶がある。オルタナ・ギターロックの究極である前者と、生楽器を排除したコンピューターミュージックの後者。

権威性に頼っている僕にはそんな隔たりは余裕で渡れた。どちらもそれぞれに世界的な評価を受けていて、どちらもヒットしている(もちろんどちらも音楽的に好きだったという最低限の前提はある)。

ただ、ホリウチくんは渡れなかった――いや、渡らなかった。「The Bends」から「OK Computer」までの進化を大喜びで絶賛していたが(いや、絶賛していたからこそ)、「KID A」に関しては「好きじゃない」とすぐに返却された。

全米全英で1位を獲っていようが関係ない。世間で評価されているものに自分の好き嫌いで返せる。彼はあの歳ですでに自分の「好き」の本質を(無意識に)理解していて、ブレない評価軸を持っていた。

貸した「KID A」が受け入れられなかったことは残念だったけど、このときに、「芯のある人間ってこういう人のことなんだろうな」と漠然と感じた。

要は僕が持っていなかったもの、持てなかったものを完成品で備えている、真逆の人物だから輝いて見えたのかもしれない。当時の僕にとっては彼の存在そのものが一種の才能だった。

卒業後は大学時代に1度会ったきりだ。そのときも飄々と「コスパが良いから」で読書を趣味にしていて(高校まで彼から本の話を一度も聞いたことない)、いっぱしの村上春樹のファンになっていて「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」について熱く語っていた。全てが流れるように自然で無理がなく、僕から見たら美しすぎる成長だった。

僕も歳をとりながら徐々に自分なりの価値観を醸成させてきたと思うけど、高校生〜大学ですでに自分の軸に到達していた彼はその後どうなったのだろう(大学時代以来会っていない)。

「何にでもなっていそうだな」と思う。

何にでもなっていて、そのどこでも満足して飄々と笑っているのが、確信に近く想像できる。

そして、それがやっぱりすごいと思う。

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