確か漫画「岳」の一話にあったのを覚えている。主人公の山歩がまだ若かったとき、はぐれた友人の野田正人が心配して呼びかける声を、しばらくわざと応えずに聴いていて 、「温かいな」という感想をもったというエピソード。
読んだ当時の僕も「さもありなん」とは思ったけど、表面と輪郭をなんとなく分かったつもりで、身に覚えがあることではなかった。
というのも、もう少し若かったころは、「心配される」ということに関して「気丈に見せたい」という意思が働いてしまい、ともすれば失礼ながら「大きなお世話」―――の手前くらいの気持ちまで持ってしまっていた。とにかく自分は強いから大丈夫だ、と。そういう自分でありたいと。
ただ、歳もとれば気も弱くなるものか…
母についての話は以前のままで、退院はしたものの気持ちの波はあり、ただ「波がある」ということについては安定しているため、僕は特に他の人に話すこともなくなっていた。
そんな折、オンラインゲーム中に友人からおもむろに
「お母さん大丈夫?」
と心配してもらった。
そのとき、すごく嬉しくて「温かかった」。
安定はしている中にも当然不安はあるもので、そんなときに「いつでも寄りかかって良いよ」と言ってもらえたようで、すごく有り難かった。ああ、いつでも頼って良いんだなと。
そういう風に、そっと休む椅子を提示してくれるような心配、その心配してくれる友人がいることはこの上ない幸せで、いつか僕もそうなりたいと思う。