
「ジェンダー」「選択的夫婦別姓」「原発」「沖縄基地」etc.
こういったビッグタイトル以外にも、日常・現実社会の細々したことで今日もSNS上では議論がなされている……と言うより喧嘩が起きている。
どちらも双方の主張を「間違い」とし、それを間違いとするための理由を列挙して、徹底的に相手を負かそうとする。(概ね「言い返せなかったから負け」と言うまで)
「原発再稼働」が間違っているのか「原発廃止」が間違っているのか。「選択的夫婦別姓の推進」は正しいのか間違いなのか。
僕は最近、どちらも「間違ってはいない」と思う。「安定的電源確保のための原発再稼働」も「悲惨な事故を起こさないように原発ゼロ」も、それぞれに正しさがあると思う。僕も各トピックにそれぞれ自分の意見やスタンスはあるけど、自分と違う意見に出会っても、その気持ちの存在自体は理解できる。(では「間違い」とは何だろうと考えると、それは「事実」が曲げられたときに使うものだろう。「AがBを殴った」という実際起きた事実を「BがAを殴った」と言うことに関しては「間違い」と言える。結局のところはっきりと「間違い」と言えるのはこのくらい極端な場合しか無いかもしれない)
ただ、そこにあるのは、その人その人の信じているものや優先順位の「違い」だけ。自分と違っているというだけ。それなのに「自分と違っている」が「相手が間違っている」になってしまっているのを、SNS上であまりに多く目にするようになった。
各々が持っている「真実」と言われるものは概ね各々が「信じたいこと」であって、真実は人の数だけある。選択肢の一方が絶対的に正しいなんていうことはあり得ない。
その中で、双方がギリギリ頷ける地点を探すのが「議論」であって、勝敗を決めるものではない。おそらく正解というものがあるとすれば、それは常に双方の間のグレーゾーンのどこかにあるはずだ。
こういうことを胸に、僕は僕の持つ「正しさ」に対して謙虚でいたいと思う。