日々是暇

僕の現在、未来、そして過去

真木悠介さんの「時間の比較社会学」という本を読んでいる途中なのですが、とても面白くて。

古代(今も一部の民族)では、「未来(ないし『時間』)」という感覚が無かった。現代我々が感じるような「直線的で無限」「不可逆的」という時間感覚は、様々な歴史とその文化体系の中で徐々に培われていったものである……というところまで読んだだけなので、この本に対する感想はまた別の機会に書こうかなと。

夜の川沿いを散歩しながら、古代の人たちの生きる感覚はどんなだっただろうと想像する。

その頃はもっと人生はシンプルだっただろうと。「人生」という言葉も考えないくらい、今日という農耕か狩猟のサイクルを繰り返し、いつしか季節のサイクルを繰り返し、「今」だけで充足する(というか精一杯?)生を生きていたのだと思う。

現代人は違う。社会や仕事も多岐に渡り、純粋に「生きる」に直結した仕事をしているのは一次産業従事者だけで、その他は常に変化の上にある(もちろん一次産業も技術革新はあるけれども、「食べなきゃ生きていけない」という人間の致命的な部分を担っているという点では古代から変わらない)。無限に(個人単位では寿命まで)続くであろう未来が頭にある中で、心のどこかに「現在」への不安が常にある。

そんな心もとない「現在」を僕はどう生きているんだろうと振り返る。

本当に点としての「今、現在」においては、僕は圧倒的な「幸せエンジン」で進んでいる。天職ではないけど適職だと思える仕事、自分の時間が持てていること、それを使うための好きなことがあること。全くもって恵まれた環境にいると思う。

ただ、「未来」はどうだろう。今の仕事が40年後も続いてる保障もないし、結婚もしていないから子供もいない。お子さんがいる親であれば、「この子を育てる」が未来への強力な原動力になるだろうと思う。

「現在のエンジンだけ」で果たして人生走り続けられるのか……と一瞬悲観的になりそうだったけど、違った。

「今年も北海道で会おう」と言ってくれたKさんがいる。GWには九州で待ってくれているM夫妻がいる。「今年は○○に登りたいね」とリクエストしてくれた登山仲間がいる。「また来年末も食べに来てね」と鍋を食べさせてくれた大学の友人がいる。「また10年後にも撮ろう」と言い合った幼馴染たちがいる。自分の子供ではなくとも、姪っ子や友人の子供たちが育っていく姿を、僕も見てみたい。

そう、今日は星が綺麗だった

ささやかだけど、無数に輝く星のような未来が、歩く先にあった。

未来で笑い合おうという、たくさんの温かい約束が、優しく僕の手を引く。

そして、その未来を作ったのは、言うまでもなくこれまで歩いてきた過去だった。

過去で笑い合った、たくさんの温かい記憶が、優しく僕の背中を押す。

笑い合った過去がずっと

未来まで守ってくれるから

BUMP OF CHICKEN 「宇宙飛行士への手紙」

「過去」も「未来」も、「現在」の「結果」なのだと思う。

精一杯、現在を生きようと思いなおした。

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