キケロー著。古代ローマの政治家、ラエリウスが語る(という体をとる)友情論。
友情を越える価値はない。見返りを求めない__古代ローマから友情の普遍性が、令和日本の僕に伝わってくる。
ざっくりは上記な感じなのですが、そこは哲学者が時間を使ってく組み立てた珠玉の言葉の数々が胸を打つ。
友情とは、(中略)好意と親愛の情に裏うちされた意見の一致
友情の定義。もうここから素敵。
友人によって得られる実益より、むしろ友人の愛そのものが嬉しい。
友情が実益を追うのではなく、実益が友情を追うのである。
友情も、報酬の期待に引きずられてではなく、愛そのものの中にその果が含まれていると考えて、求められねばならぬ
見返りを求めないということ。
誰の助けも必要とせず、己のものは全て己の中にあると考えるまでに、徳と知恵で厚く守られていればいるほど、友情を求め育むことにおいても卓絶する
お互いに必要としなくとも交流したいと思えるのが友情ということか。これは言われてみて確かにと思った。
真の友人とは、第二の自己のようなものである
本当に良いことを言う。
さらには友情を持つにあたっての注意点や、解消方法まで指南されているが、基本はずーっと友情を至上のものとして崇める内容であり、僕はこれに共感できる人生を持てていることが、ものすごく幸せに思えた読書だった。
常に手元に置いておきたい、人生の一冊。
追伸:現代において、友情論を語ろうとするとどうなるか。これ以上のものを上乗せ出来るかどうか。
これ自体も大体は友情の再確認に近いもので、目から鱗のような視点があるわけじゃない。表現の妙というか、そういうに感銘を受けた感じだ。
キケロー自身が文中で
この種の談話は、古の赫赫たる人物の権威に託して語れば、どういう訳かいっそう重みが増すように見える
と言ってるように、この時代の言説ということが大きい気がする。そしてこれが概ね普遍であるとするならば、現代の友情論は書けるものなのか否か、「今さら言われなくても知ってるよ」と言われてしまうのではないか……リアルタイムの哲学者は今、何を考えているんだろう。