アカデミー賞最有力候補。クロエ・ジャオ監督の作品。
企業の倒産により、その城下町ごと住所を消され、夫を病気で亡くした主人公ファーンが、キャンピングカーで季節労働をしながらアメリカを旅するロードムービー―――と書いたら、ワクワクする人もいるでしょう。現にそういう感想を持つ人もいるし、アウトドア専門店にこの映画のチラシが置いてあったりした。
ただ、僕は違った。旅は好きだけど、ファーンの生き方からは「自由」よりも「孤独」 の方がより強くにじみ出ていた。
そもそも、ファーンは自由を得たくてノマドを選んだわけじゃない。かつて愛した人と、一緒に暮らした愛した土地があって、そこへの未練も強かった。半ば引きはがされるように旅に出る。
そこで出会い、仲良くなっていった何人かの高齢のノマドたち。ただ、彼らも子供たちに呼ばれて元の生活に戻ったり、あるいは人生最後の目的を果たしに旅だったり……一人ひとりとファーンから離れていく。主人公一人だけが、帰る場所も目的もない。その孤独が、身につまされた。
立ち寄ったかつてのノマド仲間のデヴィッドの家に受け入れられる幸せなひと時もあったけど、彼と彼の息子がピアノの連弾をしているのを見て、ここに自分の居場所は無いと悟ったのか、結局は出て行ってしまう。(パンク状態の彼のキャンピングカーを見て、「もう乗らないの?」と訊く気持ちも痛いほど分かって、切なかった)
ノマドたちの相談役のボブ・ウェルズはノマドライフを「『さようなら』が無いんだ」と素敵に表現していたが、それは裏返せば「ただいま」も「おかえり」も無いということ。それは、今の僕にはあまりにも寂しいことに思えた。
「さようなら」と「おかえり」、「自由」と「孤独」、何を選ぶか、そもそも選べるか……
この映画の見え方はかなり鑑賞側に委ねられる。ファーンの表情は基本的に無表情と、たまに微笑(愛想笑い)を往復するだけで、何を考えているかは鑑賞者の心が反映される。
最後にファーンは廃墟となった、幸せだった町に帰り、涙する。唯一本音が見えるシーンではあるが、 寂寞か決心か、この涙の解釈も十人十色だろう。
そして冒頭と同じように、アメリカの大地を走るキャンピングカーの後ろ姿で映画は終わる。その行き先もまた、僕たちに委ねられている。